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2011年3月23日 (水)

少しずつでも、元に戻さないと

11日に発生した地震の時は、私は家で仕事をしていました。3階ですので、揺れましたね。もちろん初めての経験です。

パソコン・モニター(買ったばっかりの24インチ)を右手で押さえ、何度も突き飛ばされるのを左手で机にしがみ付き、必死で耐えました。足元においておいたPC本体が、壁にガンガンぶつかっています。エプソンのプリンターが、棚から落ちました。やられた。

デザインジェットも、あー落ちて、床に転がってしまいました。

長かったです。

地震がこんなに怖いと感じたのは、人生初めてです。

自宅が、倒壊するとは思わなかったので外に飛び出そうとはしないで、建物内にとどまりました。

昭和53年の宮城県東方沖で発生した地震の時は、私はビバホーム桑野店(現在の建物は、造り替えた物です)で揺れを体験しました。平屋建でしたので、足元の揺れはそれ程で無かったのですが、天井はすごかったです。面白いように、天井材がひしげます。

自分は、馬鹿なことをしたとは考えていません。望んでも、震度6弱はそうそうは経験できないと思いますので、家に留まって良かったと思います。下手に飛び出して、隣の屋根瓦が頭にでも当たったらと考えたら、そっちの方が恐ろしいです。

私の家での地震被害は、北隣に2階建瓦葺きが有りましたので、揺れに耐えられない瓦が私の敷地内に降ってきました。大きいのは、頭位のものが、ガンガンぶつかってきて外壁が割れました。お隣は、一条工務店の施工事例です。

主に、図面を作っている、ネットにもつながっているPCをひっくり返してしまいましたので、仕事・メールの確認が全く取れませんでした。

昨日、やっとの事で修理が完了し、PC環境は元に戻りました。

ただ、大切にしていたHPデザインジェットの430が、死んでしまった。

今日は二件、耐震診断をしましたが、被害は甚大です。深刻なケース、多いようです。

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コメント

無事で何よりです。なかなか落ち着きませんね。その日その日で自分にできることをたんたんとこなす毎日です
余震も大きいです。どうぞお気をつけください

投稿: しんぼう | 2011年3月23日 (水) 20時14分

お怪我がなくてなによりです。
パソコンは大変でしたが直って良かったです。
 
栗原市は震度7でしたが
長い時間ゆっくりと揺れた印象でした。
我が家は軽い物は棚から落ちましたが
パソコンなど貴重品の被害はありませんでした。
 
食料とガソリンが手に入らないので困ってます。

投稿: yu@栗駒 | 2011年3月23日 (水) 22時07分

しんぼうさんも、お元気で何よりです。

余震が、おさまりませんね。
今日は、大きいのが続きました。
これで、終わりにしてくれれば良いのですが・・・
明日も、耐震診断に呼ばれています。大きな地震を体験したので不安になったと思いますが、
原発の問題の方が、はるかに重大ですね。

投稿: 大木 実 | 2011年3月23日 (水) 22時15分

yuさんの所は震度7ですか。
私には、想像が付きませんし、経験もしたくないですね。

長い事揺れていましたね。私の所は、突き飛ばされそうな横揺れでした。

食べ物は、沢山は無いですが、何とか手に入れる事ができますが、ガソリンがね自由には手に入りませんね。
19・20・21日と原発が心配で160キロ先の新潟市に小旅行に行って来ました。新潟の方達は、原発の不安も無いし、ガソリンも殆どのスタンドが満タンにしてくれます。
来週くらいには、郡山もガソリン不足も解消されると思いますが、何でこんな事とが起きたんでしょうかね。

投稿: 大木 実 | 2011年3月23日 (水) 22時41分

ご無沙汰しております。
ご無事でなによりです。これからが大切な時、
いま自分自身のできる事、
いままでやってきた事を前へ確実にすすめたいと思います。それが最大の復興支援だと感じています。
自分自身も被災し、岩手陸前高田で身内が亡くなって、
7日目に家内のお父さんが陸前高田で奇跡的に避難所でみつかり、あわただしい2週間でした。
これからもふくしまの笑顔のなため、にっぽんの笑顔のため、
頑張りましょう。

投稿: 吉田正之 | 2011年3月29日 (火) 13時17分

7日間も、御家族の安否が分からなかった。吉田さん、御家族さまの、お気持ちお察しします。
陸前高田でも、津波の被害大きかったようですね。お父様が無事でいられたことは、奇跡だと思います。

この度の地震災害で被災された方、たくさんいらっしゃいます。
郡山市内でも、応急危険度判定で危険とステッカーを貼られたお宅にも立ち会いましたが、深厚な状態に陥った方もおいでです。建築年数が、まだ30年弱の住宅でしたが、2階建の一部にピロティが有り、2階の瓦屋根部分を支えきれなくなって直ぐにも倒壊しそうなんです。
こちらの建築に関わった設計者は、この事態をおこしてしまった責任を感じ、反省すべきだと思います。危ない事は、当時から考えられたことですから。
私の仕事も、震災後の耐震診断の依頼が多いと思います。
あんな怖い思いするのは避けたい部分ですが、日本に住む以上避けられない事。
家の子供達にも、今回の地震後の、原発が原因で起こしてしること、一生忘れないと思います。
私の小さい頃は、薪でフロを沸しましたし、原発も沢山は無かった。
そんな時代に戻す事も、考える必要があるかも知れませんね。

投稿: 大木 実 | 2011年3月29日 (火) 15時22分

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